昨年12月に突如現れた本学法学部学生会の解散について審議する委員会が2月中にも召集される模様だ。関係者が明らかにした。委員会は原則非公開になるという。
同学生会の解散については、同学生会規則に基づき昨年12月中に行われる予定だった同学生会の後期総会、臨時総会において審議、議決が行われる予定だったが定足数不足のため意思決定まで行きつかなかった。
それを受け12月21日に行われた「学生集会」において、同学生会解散を審議する委員会の設置が審議され、議決権を持つ「クラス委員」の大部分から賛同が得られた。学生会執行部は検討機関の設置について「どちらにせよ『存続問題』について検討はしなければならない」として前向きの姿勢を示す。
「解散」実施のため、今回学生会規則の改正案を提出した同学生会執行部は、解散の理由に組織を運営する人数不足を挙げる。何らかの事情で同執行部の「三役」が成立しなかった場合、同学生会規約によってその年の同執行部が組織されず、学部生から任意徴収した分を含め9百万円以上もの運営資金が所有者不明になる可能性があるという。
同学生会執行部は、学生会が解散された場合、残余資金については用途指名可能な本学の寄付制度を利用して学生に還元する考えを示しているが、学生会解散後の寄付「主体」については明確な発言をしなかった。
2018年12月21日18時45分から法学部学生会は臨時総会を開催する予定でした。しかし、実際に開催されたのは「集会」です。総会開催に必要な数の出席がなく(121名のクラス委員がいる中で出席したのは33名)、「総会」を開催することができなかったからです。そこで、臨時総会は形式上「集会」として開催されました。たしかに臨時総会は12月13日にも開催されたばかりです。さらに、開催日は冬期休暇前最後の授業日の夜であり各種忘年会も予定されやすいことでしょう。総会に参加することが困難である委員も多かったと予想されます。とはいえ総会開催に必要な充足数は、定員の委員数の3分の1です。やはり、臨時総会を開催できなかったことは学生の学生会に対する関心の低下を如実に示したと言わざるを得ません。
そのように関心を持たれていない学生会であれば解散しても構わないと考えた人もいるかもしれません。そう考えた人はむしろ多数派かもしれません。なるほど一理ある。しかし、ここで学生会の活動を思い返してみましょう。学生会の活動には、8・106教室で開催するゼミ紹介があります。また、学生会の事務所との折衝のおかげで法律サークルは新歓期に新歓ブースとして8号館内の教室を使用できます。ゼミにも法律サークルにも加入していないという人もいるでしょうが、多くの人が学生会の活動によって便宜を受けています。
では、新しく結成されたばかりの団体が8号館の教室を借用したいと法学部事務所に申し出たとします。この申し出は認められるのでしょうか。もちろん、申し出の理由や目的によるでしょう。当然、申し出団体の性質も考慮要素になるのではないでしょうか。 少なくとも法学部学生会は、現在までのメンバーの尽力によって、教室借用を認められています。とはいえ明確に使用を許可するという法がない以上、慣例的に認められているにすぎません。法学部学生会を通じてみなさんは慣例的な利益を享受しています。
ところで早稲田大学法学部の良いところはなんでしょうか。人によって様々な答えがあるでしょう。そのうちの一つにゼミや法律サークルの多様性もあげられるのではないでしょうか。そうしたゼミや法律サークルの多様性は多くの場合、構成員である法学部生のみなさんによって支えられています。
しかし、ゼミや法律サークルの新歓を法学部生全体に届ける活動をしている学生会が存在しなくなったらどうなるのでしょう。ゼミは8・106教室で宣伝をすることが、サークルは新入生がまわり易い新歓の舞台を失います。すると、特に小規模のゼミや法律サークルは構成員が減少するでしょう。中には存続が困難になる団体もでてくるかもしれません。小規模団体を維持できなければ、早稲田大学法学部の誇る多様性は失われます。そうして失われたものを再建するのはもはや困難でしょう。ここまで述べてきたことに反論したい人も多いはずです。そもそもゼミや法律サークルの多様性を早稲田大学法学部の長所と捉えなかったり、使用許可を得られると考えたり、小規模団体も存続できると…
そうかもしれません。しかしいずれにせよ学生会の存続は関心を向けるに値するテーマだとは思えませんか。臨時総会では、存続については委員の中から代表を選び検討委員会を設立して議論していくことになりました。
しかし、語学・ゼミクラスにはみなさんの代表として委員がいます。委員を通じてみなさんの考えを届けることができます。学生会に直接意見を届けることもできます。失われたものを簡単に取り戻せるとは限りません。特に今回のような文化ともいえる多様性を取り戻すことは困難です。失われる前に考える機会があり声を届ける機会があります。大学の外では機会はないかもしれません。早稲田の外では機会はないかもしれません。早稲田の法学部にいるから得られる機会かもしれません。検討委員会の開催回数は不明です。拙速とならぬよう、充実した議論のためにはみなさんの意見が必要になります。
どうか、まず、考えてみては。
(七浪八留=本学法学部在学)
10月某日、ある学生のツイートが早稲田生を騒がせた。「早稲田大学スポーツ科学部のある学生が、憲法の授業中に手マンをし」ていた、という内容のものだ。
ツイートは瞬く間に拡散し、6百以上のいいねと2百5十を超えるリツイートを記録した。また、事件が起こった授業の映像もリプライ欄に第三者から貼り付けられた。このまま終わればただの大学内での痴話で終わったのだが、このツイートは大学当局側の目に触れることとなった。ここで当局は、驚くべき行動に出たのだった。
数日後、スポーツ科学部の全学生にあるメールが送付された。「ツイッターに他の学生の名誉を傷つける虚偽の投稿をした学生を処分する」と書かれていた。なんと、いかがわしい行為をしてしまった学生ではなくて、その模様をツイッターにあげた学生を処分するというのである。
大学は学生のツイッターが「虚偽」であると断定したが、その根拠はどこにもない。第三者から動画が上がっているのだから、理があるのは学生の方ではないか。大学は「虚偽」とする根拠を全学生に示さなければならない。
この学生に下された処分は「無期停学」だった。論文の剽窃をした時と同じくらいの処分である。重すぎやしないか。学生はツイッターをしただけだ。犯罪行為もしていない。そのようなことで、学ぶ機会を奪うというのは大学の役割の放棄だ。
当局側はツイッターにあげた学生はいかがわしい行為をした学生に対する名誉毀損を行ったという理由で処分を下した。しかし、ツイッターでは名前や顔をあげたわけではない。名誉毀損の要件は満たされない。大学は適当な理由をでっち上げて学生を処分できるという悪しき前例を作ってしまったのではないか。
この事件によって、早稲田大学は学生のツイッターを監視し、そこに書き込まれた文言によって大学側は自由に処分を下せることがわかった。学生の私的空間にも大学の目が介入することになれば、学生の自由な言論活動は限られることになる。言論の自由の観点からも今回の大学当局側の対応は容認され得るものではない。
この問題は一人の学生の悲劇に終わらず、大学の処分がさまざまな危険性を提起することになってしまった。次の犠牲者はあなたかもしれない。
日本の大学進学率は年々上昇し現役生の進学率は現在約50%。確かに大卒者の数は増えただろうが「大学教育は大衆化した」と言えるだろうか? 大学生は大学の就職率のため3年生の春から就職ガイダンスを半ば義務付けられ、大学は「就職解禁前の活動に乗り遅れるな!」などと、呆れることに自ら「就活解禁前の就活」に学生を煽る(某大学ではこれらの就活イベントで労基法の説明会などが行われている気配はない)。今現役生の半数が進学する「大学」とはこのようなところでもある。
大学を就職への通過点とする学生にとって、こういったシステムは効率的に就活できる便利なものと考えられている。確かにそうだろうが、これは大学の役割として正しいものだろうか?この就職のサポート業務が本来の大学の役割を圧迫しているということは問題視されなければならない。
「学生運動」と呼ばれたかつての運動は、その呼び名が示す通り参加者の多くが学生だった。近年の社会運動でも若者が主体のものは「学生」に注目され、おそらくこれから新たな動きが作られる時も「学生」が無視できない勢力であるだろう。だが、学生運動の復興を目するならば今の「学生」がどのような集団であるのかも見据えられなければならない。
われわれ「学生」の多くは若者であると共に、何を言おうと多くは常に「大学に行けた」特権階級であり、この特権が「就職予備校化」とは別の「大衆化」によって解消されなければ、学生運動は学生と他者の断絶を超えられず、次世代のための広範な社会運動には繋がらないだろう。
目指すべき大学の大衆化とは、単なる大学進学率の向上ではなく、経済状況・性別などの出自に関わらず高等教育へのアクセスの機会を同じく得られることである。この実現の結果ならば、高校卒業後の進学率が下がろうと就職率が上がろうと問題ない。大学生は特権的存在ではなくなり、新たな「学生運動」は「特権階級の政り」ではなく、若年層を中心とした社会運動の一勢力となり得る。 今年も大学生として、資金力のある者へアクセス権を傾けたままの「奨学金制度の見直し」を訴え、「企業の学歴偏重」と、それに追従する大学の「就職予備校化」を批判する。学生メーデーなどのイベントで、問題意識を同じく持つ人々と連帯することを期待している。 『学生新聞』創刊おめでとうございます。
(某穴研S 「本紙創刊に寄せて」)
去る11月3・4日に早稲田祭が例年通り行われた。この早稲田祭の「大黒柱」である運スタが諏訪通り沿いの立て看撤去に反対する旨を主張する立て看に早稲田祭の開催にあわせてその立て看を撤去するという張り紙を貼った。一体どうして運スタはこのようなことをしたのだろうか。
「早稲田祭」は各サークルのステージパフォーマンスや、露店の出店などが催され、例年、多くの人が学内外問わず訪れる、早稲田大学における最大のイベントだ。
この大規模なお祭りを一手に統括するのが「早稲田祭運営スタッフ」(通称「運スタ」)である。
運スタはパフォーマンスが行われるステージの管理、露店の衛生確認、ゴミの処理などの雑務だけでなく、インフォメーションセンターの設置と運営、「好きに情熱を」というスローガンが書かれた看板を設置するなど、早稲田祭のすべての業務に関わっていると言っても過言ではない。
しかし、今年は「立て看撤去に反対すると学生にアジる内容の立て看がその学生から『撤去せよ』と言われてしまう」というアイロニカルな状況が生まれてしまった。立て看撤去の理由は「構内雰囲気創出」と「早稲田祭参加団体・参加者の企画広報看板の設置スペース確保」のためである。 この張り紙は南門に設置してあるすべての立て看に貼られていた。どうやら、「普段南門に立っている立て看は早稲田祭の雰囲気に合わず、参加団体のスペースも圧迫してしまい邪魔だから撤去する」。というのが運スタの理論だったらしい。早稲田生全員が早稲田祭一色に染まる日なのだから、空気を読めということなのだろうか。
件の立て看を設置した学生有志は運スタと直接交渉を行った。彼ら彼女らの主張は「立て看撤去に反対する立て看を撤去するのはあまりにも理不尽であり、また学内外問わず、多くの人が集まる早稲田祭では絶好の問題周知の機会であり、看板をどかすことはできない」ということだった。
交渉の結果、立て看の移動で折り合いがついた。早稲田祭ではこの立て看が多くの学外者の目に触れたことは間違いないだろう。今回わかった問題点がある。それは学生にいかに立て看問題が軽視されているかということだ。諏訪通り沿い立て看も、出版サークルをオープンキャンパスからの追い出したことも早稲田大学当局が行ったことである。
しかし、今回は当局の許可を得ているとはいえ、学生団体である早稲田大学運営スタッフが弾圧を行う形となった。早稲田大学に於ける自由の抑圧の形態として新しい。
しかし、彼ら彼女らは当局とは違い意図的に言論の弾圧をしたわけではないだろう。おそらく機械的にすべての立て看に撤去する旨を伝えたのだ。裏を返せば、例の立て看が掲げる「立て看撤去反対」のアジテーションは運スタの学生たちには少しも届いていなかったのだ。
残念ながら今、早稲田の立て看問題は京都大学の立て看ほど盛り上がりを見せていない。おそらく、立て看問題について知っている学生はそう多くないだろう。もう少しこの問題が周知されていれば、運スタももう少し配慮したのではないだろうか。
早稲田祭の立て看騒動は以上の問題点を明らかにした。立て看問題は多くの学生が知らず、学生が学生を弾圧する始末である。学生を巻き込んだ大きな波を作れているとは言い難い。諏訪通り沿いに設置されていた立て看用のフェンスは撤去されてしまった。もはや立て看問題は当局によって幕引きが図られており、予断を許さない状況だ。多くの学生を巻き込み大きなムーブメントにしていくにはどうすればいいのか真剣に考えるべきだ。
11月中旬、私は発起人となってある立て看板を早稲田キャンパス、戸山キャンパスの二箇所に設置した。それらは白く塗った板に「伝言板」とだけ書いてペンを置いただけのもので、誰でも自由に書き込み可能、という通常よくみる広報用の立て看板とは趣を異にしていた。
この立て看板を出した目的は、①立て看板というものの存在を捉え直す②大学に関わる人間誰もが立て看板という媒体を使って何かをすることができるということを再確認する(してもらう)③大学構内にリズムを生み出す④(個人的に)自分の問題意識を実践的に具現化する、の四点であった。
まず①について。早稲田大学の現状において、立て看板=広報用看板という認識は自然に共有されていると考えられる異なった趣の看板もあるが間違いなく少数に過ぎない。しかし立て看板という発信媒体は誰もが参加可能ゆえに多様性があって当然であり、本来様々な目的・特徴を持った看板が並立してよいはずである。その前提が忘れ去られたユーモアなき現状に一石を投じ、多様性を取り戻すための端緒とする、というのがまずひとつ。
②は「誰もが当事者として書き込み可能」な様式を用いることにより、本来立て看板という発信手段を持っているはずなのにそれを全く意識する機会のない、普通にしていたら立て看板なんて気にも留めない多くの人々を立て看板に呼び込んで自然発生的に共有を行お うという試みが「伝言板」であることを示す。
③はつまり「生活を楽しくしたい」ということで、なにもしなければなにも起こらない大学という場所にある種バグ、ノイズ的に妙なものを置くことによりリズム≒ユーモアを発生させる起爆剤にしたいという欲望の具現化がこれだという話である。現代において伝言板という媒体そのものが希少であり、そこに何か伝言が書かれるだけでおかしみがあること、それが連鎖することにより奇妙なコミュニケーションが生まれることに期待する部分も大きかった。
④はやや個人的な話になるが、日々思うことはあってもそれをただ口に出して満足して終わり、結局問題解決には至らないというままある状態から抜け出すためにまず何かやってみたい、ということで、大学という場でそれを行うことにも思考を実践に帰結させ、それを共有するという点で意義がある。また戸山キャンパスにおける立て看板設置規制の反対運動に少し関わる中で「そもそも学生が立て看板に興味を持っていない」という現状を打破するところから始めないといけない、と考えたこともここに大きく繋がる。
さて、実際やってみてどうなったか。まず戸山キャンパスのものは設置した翌日に事務所の手で撤去された。理由は「罵詈雑言が書かれたりする可能性を考えると、誰もが書き込み可能なプラットフォームを構内に置くことを是認できない」というものであった。こちらはこれに対し「まだ一切の書き込みがなされていないのにその判断を下すのは著しく尚早」「伝言板は伝言を書くものであり罵詈雑言の類を呼び込むものではない」「既存の掲示物や壁などが荒らされているなら話はわかるがそういった現状も見受けられないため不当な判断ではないか」などの材料を用いて抗議を行った。しかし、「実のところ、人間関係の問題で学校に来られなくなる学生が少なくない」「メーリングリストやSNSなどを用 いたいじめなどの相談もままある」「そういった現状を踏まえると、残念ながら伝言板が悪用される可能性を危惧しなければならない(何かあってからでは本当に遅い)」という話をされ、対策提案の余地もなく設置を断念することになった。
つまり早稲田大学は伝言板を置けるような環境ではないということであり、単純にショックだった。 早稲田キャンパスの方はなぜか数日間撤去されずに済み、実際何人かの人々が書き込みをおこなってくれた。しかし「伝言」は全体の20%ほどで、あとは面白くない落書きと小学校低学年レベルの汚言が占める最悪の結果となった。書き込まれるものは伝言でなくても面白ければ(なんらかの工夫が見られれば)よい、と思っていたがそういったものも殆どなく、ユーモアの伝播への期待は大きく裏切られる結果となった。戸山キャンパスの方も悲しかったが、正直こちらの方がショックだった。
以上が伝言板にまつわる顛末で、最後に感想を。まず「みんなが面白く料理してくれるだろうからとりあえずプラットフォームだけ作ろう」という試みはあまりにナイーブで夢想的であるらしい。ある程度ルールを決める(例えば、「絵しりとり」だったらもっと面白かったかもしれない)などの工夫が必要。そしてこの想像以上に荒んでいる大学をフィールドとして何かを行うのにはエネルギーとアイデアと人数が不可欠である。もう私は卒業するが、例えば不当な学費の値上げが起こった時に学生がゆるやかに団結して異議申し立てを行うことができるプラットフォームを作っておくことは学生だけでなく社会全体(それはつまり自分や自分の周りの人々を含む)にとって有益なことであると思うので、何か足がかりだけは作りたいと思う。
そういった意味で、この新聞の創刊はひとつの希望です。応援してます。
(ふんどし同好会会長)
昨年12月24日、早大生有志が大学の立て看板規制について語り合うイベントを開催した。現役大学生の他、早大OBや周辺住民など約20名が参加した。
京都大学を中心に話題となっている立て看板規制の問題を軸に、大学の自治や規制といった諸問題について学生内外の情報交換や交流を図ろうと企画されたもの。
同日は、早大生の他、北海道大学や広島大学など全国で立て看板規制に関心を持つ学生がそれぞれ自らの状況を報告しながら議論が交わされた。
主催者は「興味を持って参加してくれた方が思ったよりも多くて意外だった。このイベントが参加された方にとって興味関心が深まる助けになれたならよかった」と話していた。
昨年11月初頭、警視庁公安部はビラ撒きのため校内に立ち入ったとする「中核派」の構成員2名を東洋大学構内への建造物侵入の疑いで逮捕した。
大学の自治や大学における表現の面から、この「過激派」の騒動を考えていくにあたって、相反する主張の2人の学生からいただいた寄稿を掲載する。
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報道などによると、「中核派」構成員2名は、昨年7月下旬にビラを配布するために東洋大学白山キャンパスに「侵入」したとされ、この件が建造物侵入として今回問われたという。
今回、この件を考えるに、大学側が「中核派」をこのような形で追い払うにあたり、それがどのような手法で行われたか、またこのような手法を行う際における他の権利との比較考量が必要だろう。
今回逮捕された2名は「中核派」の公式媒体にしばしば登場する人物だが、世間的には圧倒的な知名度を誇る人物ではない。したがって、彼らを大学内でどのように特定したかという論点は外せない。
また、後者については、例えば大学側の対応に「正当防衛」の観点から論じるなら、「侵入」の行為が(法的)侵害にあたる、もしくはその可能性が高いかどうかを問わざるを得ない。
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近年の本学では05年と08年にそれぞれ建造物侵入での逮捕、勾留がなされている。
2005年12月20日、戸山キャンパスで「(旧)学生会館移転」時の対応について抗議するビラを配布していた学外者が、「退去要請の後も配布していた」ことを理由に警備員に私人逮捕を受けたのち、警察に引き渡され9日間勾留された。この「事件」については、朝日新聞で報道された。
また、2008年4月1日には、入学式時のサークル新勧の規則変更について、それを抗議する旨、立て看板掲示と肉声での演説を試みようとした本学法学部4年生(当時)が05年同様に本学教員らに私人逮捕され、警察に引き渡されたのち勾留されている。
2018年は、大学受験での不当な選考が話題になった年だった。東京医科大学の不正入試問題では、国会議員からの「依頼」もあったことが第三者委員会の最終報告書で明かされた。大学入試への信頼が大きく揺らいだ1年だったと言ってよいだろう。
だが、基本的な大前提がある。そもそも大学入試とは、一定の基準に至らない人間をふるいおとすシステムだということだ。高等教育への門は狭く、大学のシステムは「排除の論理」によって成立している。
一方で、大学で行われる知的営為の所産は広く社会に共有されるべき、という通念があるのも確かだ。大学というシステムが保つべき解放性と閉鎖性、この二つをいかに両立するかという課題において重要なのが、大学キャンパスの「開放性」だろう。
昨年の11月4日、中核派系全学連の活動家が路上で公安警察に逮捕された。罪状は建造物侵入。7月下旬、共謀して東洋大学のキャンパスに無断で侵入した疑いだ。ここでいう「侵入」とは、何も夜間に大学の建物内に忍び込んだといったようなものではない。白昼堂々、キャンパスを訪れたのだ。そして現行犯ではなく、4ヶ月後になっての逮捕。さらに建造物侵入は被害者の訴えがなくても立件できる「非親告罪」だ。
こうした事情を見ていけば、大学キャンパスへ「無断で侵入した」という罪状がまず逮捕ありきで作られたものだとの推測は、それほど的を外したものではない。そして非親告罪とはいえど、防犯カメラの映像の提供が大学側からなされたものであろうことも推察できる。 先ほど述べたように、高等教育は狭き門だ。その一方で、大学のキャンパスが担う機能は教育だけではない。様々な分野の学術研究が行われ、学会やシンポジウムに多くの人が訪れる。サークル活動の場でもあり、自主的な研究会が開かれる。そうした活動に参加するのは、必ずしも入試を突破した学生とは限らない。このような開放性があるからこそ、大学の知的自由が担保されている。 「過激派だから仕方がない」という声もあるだろう。しかし、過激派にはそもそも過激派を規制する法律がすでにあるのだ。それを簡単に逮捕する口実欲しさに、「建造物侵入」という、学生や職員でない人間が大学に立ち入ること自体が犯罪になる前例を作っている公安警察、それに加担した大学当局に対して、非難の目を向けるべきではないだろうか。
(元上智大生)
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11月4日、極左暴力集団中核派の活動家が東洋大学(以下、本学)白山校舎へ侵入し、勧誘をした旨で逮捕された。以降、斯様な大義名分を得た東大・早稲田などの様々な学外者によって断続的に本学正門が騒がしくなったが、当然ながら大多数の東洋大生には無関係の事件ゆえに学内で反響を呼ぶことも無く、改めて本事件が本学及び東洋大生を弄ぶ学外団体のお遊びに過ぎないことが示された。
当該活動家達は、自らの在籍していた大学内に於いても学生としての身分を失っているにも拘わらず、現役の東洋大生に対して学生自治を行えと求めた上で、機関誌の配布やオルグを行っていた。他者から指導されて行う自治がどこにあろうか。そして、彼らの言う「学生自治」が中核派と繋がっていることにも注目したい。配布された機関誌が好んで出すものは、やれ改憲やら反戦やら獄中同志やらと、はっきり言って一般の学生とは何ら関係のないものである。獄中同志に至っては単なる犯罪者の戯れ言に過ぎない。この様な団体の唱える学生自治が学生自治会の利権化であることは、東大・早稲田などの様々な大学の歴史が証明している。
また確認された抗議団体は、中核派を含めて三団体であるが、この中に東洋大生がいたとはとんと聞かない。彼らの行動が我々の利益を代弁する物では無い故の、当然の帰結である。この様な、東洋大生無き東洋大に対する学生自治の要求ほど滑稽なものは在るまい。
今回の抗議活動参加者からは、「やはり実力行使でしか社会は変わらない」という、夜郎自大な発言も為された。自衛隊約22万人・警察約25万人に対して実力行使で勝てるというのだろうか。同時に、反政府勢力にとっては政府権力に抗う最大の力たる大衆を切り捨て、寧ろ批判する露骨なエリート主義も見られる。切り捨てられているのはどちらか。
この様な甘い状況認識を捨てること無く、革命を夢想しては逮捕されると寧ろ「箔がつく」と嘯き、或いは不起訴処分を闘争の結果として「勝利」する。正に阿Q精神である。
いつまで革命ごっこを続けるのか。未だに60年代の陋習を金科玉条にして何の意味があろうか。1960年の産業3部門別就労者数(国勢調査より)の割合は第一次産業が33%、第二次産業は29%、第三次産業は38%であったのに対して、2013年は第一次産業が僅か4%、第二次産業は25%、第三次産業は71%である。20~24歳人口に限っても、1960年が総人口に比して約9%に対して、2018年12月概算値では約5%と半減している。この様に下部構造はすでに変化しているのである。それに応じて、かつての様な学生運動を支持する世代は、直に死に絶えるだろう。すでに歴史的使命を終えた、学生モドキの闊歩する学生運動は、変化した上部構造において支持を得ることはないだろう。
将来、新たなる世代が運動を起こした際、極左暴力集団はその帝国主義的策動を以て大衆動員の方法論を伝播させるだろうが、いずれ新たなる世代との本質的な思想的対立は極まり、結果として過去の残滓は一掃されることに相違ない。
その様な滅びを回避したいのならば、先ず必要なのは、現在もなお惰性的に行われている運動に対する総括である。学生の支持を得られない学生運動に価値があろうか。自らのその傲慢で帝国主義的姿勢を真摯に反省する必要がある。その為の第一歩として、本学を弄ぶ全ての学外団体は、本学に対する不当な干渉行為を即刻中止し、また事態に巻き込んだ全東洋大生に対して謝罪せよ。
(東洋大生)
この度ワセダ大学学生新聞が創刊され、学生の切実な声が無視されている早稲田のキャンパスに学生の立場を代表する媒体が現れたとことを慶賀いたします。またこの度同紙の依頼により今回執筆する事になりました。
かつて早稲田精神と呼ばれ内容はともかくも星雲の志を立てて上京する青年が在野で活躍するとされた早大が今や一部の権力者の利害しか代表しない政府の下に入り、学生の活動は社会に目が向くものは排除される惨状でかつての権力に物申した早稲田魂は既に消えているかに見えます。
先日早稲田の学生から授業料だけで年間百万円を超えると聞き目が回りました。現在4年間でかかる学費、入学金などの総計は文系で5百万円、理系で7百万円になっていて、従来私学の中でトップ校の中では高額といわれた慶応とほとんど同額となっています。非正規雇用で年間収入2百万円以下の人が2千万人いる国でこの金額では早稲田は既にかなり特権的な人たちの子弟が通う大学になっていると言わざるを得ません。
勿論奨学金制度や学費免除の制度も細かく見なければなりませんが、俯瞰すればやはりそういわざるを得ないでしょう。中産階級の悲鳴がここでも聞こえます。グラフでいくつかのカテゴリー別に大学の学費を示しましたが、70年以降で見てみればのすべての大学での学費値上げは物価上昇を大幅に上回っています。過去半世紀は民主主義の根幹をなす教育を受ける権利が実質を失っていく長い道のりの途中だとも言えると思います。
まずこのグラフで学生運動の収れんが、ながくためらってきた学費値上げ(新生国立大の学費はあからさまに言えば、72年の値上げまでは物価上昇を下回りタダ同然だった。)の合図になったことが見て取れる。そこからは72年初頭に国立大学の学費が値上げされそれ以降継続して値上げが繰り返されてきたことが解る。
60年安保闘争以降も全国の大学で学生運動はそれなりには存在感を示めしていて、72年国立の学費値上げは全国学園紛争の鎮火を政府が確認してから開始されたものだった。この値上げは年間1万3千円を3万6千円にする当時としては驚くべきものだった。政府の予想したように、残念ながら京大以外では学費値上げ阻止の闘いは起こらなかった。
私は京大教養部で値上げ阻止を掲げた無期限のバリケード・ストライキに参加して最終的には路上での機動隊との衝突で逮捕されました。学生時代の思い出としてまず出てくるものはこの学費闘争で、その立ち上げから終焉までそれなりにやり切った思いが今もあります。その後の出来事も含めて辛いことが多かったですが、今でもこの闘いに参加したことを誇りに思っています。 京大の反「代々木(共産党民青)」系は敗戦直後から60年代中頃までは「生活と権利の実力防衛」という観点は維持していたが、69年全共闘運動以後ではいわゆる個別の学園課題は重視しなくなってきていた。
71年に三派全学連(注1)を形だけでは継承していた全国全共闘(注4)が消滅し間髪入れずに学費値上げ攻勢がかけられたので、「学生運動壊滅策動」として、学生運動の存亡をかけた決戦と認識された。それは政府の攻勢を単に文教政策の一時的手直しではなく全ての社会秩序の再編の先制攻撃としてとらえ、たとえ学費という経済的な課題であっても背景にある日本帝国主義と全面的に対決するという方針だった。京都の学生運動は60年代末から一貫して当時のブント(注1)(注2)の最も重要な課題である権力にいかに迫れるかをストレートに追及していましたので、その意味ではこの方針は必然だった。
70年代初頭では既に京大では赤軍派(注5)の直接的影響は皆無だったが、京大のブント系はこの問題意識を堅持していました。今から思えば随分と気宇壮大な話ですが、当時は大まじめにこの課題を追及していたのです。京大以外でも当時はブント系と呼ばれる人々は程度の差はあれ、全共闘運動が消滅していく逆風をレーニン主義(注3)の強化で乗り越えられると信じていました。 京大の学費闘争は広く無党派が結集したが、領導した部分がブント系だったので全体の方針もいわば、全共闘壊滅後に新しい共産主義運動の土台を作る事と解されていた。
ところがまさにこの学費闘争の最中の72年3月に発覚した連合赤軍(注5)の内部崩壊、リンチ殺人の横行を見せつけられて以降は全国の学生運動は次第に終焉していく。これ以降から70年代末の模索期には有象無象の個人や組織が全学連や革命党派の再建のような運動を色々図りますがすべて消えていった。(この辺の事情は拙著「遥かなる1970年代―京都」に書いたつもりです。) 学費値上げを単なる文教政策ではなく、資本の側の全般的社会再編ととらえていたことは注目しておくべきでしょう。国立と私立を比較すると値上げの率は国立が高いのは政府(この場合は文部官僚)が占領軍から気前よく大学に与えられた学園自治を取り戻す過程として考えるとわかりやすいです。
国立の値上げは当初より極めて政治的な意図で行われて、政府は最終的には21世紀初頭の国立大学法人化で完全に全国の大学をその末端に至るまでの支配を完成させたといえる。 その意味では2016年頃から突然起こったかに見えるいわゆる「立て看板」騒動も、この流れが依然として継続していることを示しているとみることもできる。 「立て看板」に関しては3項で論じます。
70年代以降の国立を先頭とした連続的学費値上げが今の社会にどんな影響を与えてきたのか。
前述したように72年の国立値上げに実質的に抵抗したのは唯一京大のノンセクト連合(核の部分は二次ブントの継承と発展を方針にはしていた関西ブント系列)だ。元三派全学連を形成したブント、中核、青解などの党派は実質何もできない状況だった。
この学生戦線の停滞を見て自信を深めた政府は既に三倍に値上げされた学費を80年までにはさらに値上げを繰り返して累計で5倍にして、その後も物価を上回る連続値上げを常態化させる。
こうして90年代バブル終焉までにいわば大学での反動化と人材の大虐殺が進行したのです。このころには有名大学への私立高校の独占がはじまり、82年からは現在に至るまでの私立開成高校の東大合格者数大連勝が始まります。このころから東大京大の合格者の家庭での平均年収が国民平均をはるかに上回ることが良く報道されるようになって、大学の「ブルジョワ化」が話題になってきます。
既にノンポリ化していた全国のキャンパスでは学生運動は衰退し、90年代までにはカルト化した新左翼のセクト以外では新左翼の運動は消滅した。学園の自治空間も非政治的なものも含めて、次第に縮小してきて今では学生が管理している空間は京大の自治寮などごく限られたものになっている。また政府がこの京大の吉田寮と熊野寮を解体したがっているのは衆知のことだ。 裕福な学生ばかり集まると何が悪いのでしょう?
勿論それは憲法から規定された教育基本法(注6)で規定された教育の機会均等に違反しています。それ自体が大問題ですが、できもしない空論以上に深刻な問題があります。
学園の最大の価値は、遠くギリシャの昔から学園に集まる人そのものなのです。学園でくりかえされた、人々の交流自体に価値があるのです。学園でのいわゆる講義や研究は実は二次的なものだと私は思っています。その観点からすれば、今学園の状況は非常にマズイとおもいます。 似たような社会経験の人しかいなければ、そこで得られる英知も限られてくる。社会人を経験した者が相当数いれば、若い学生は彼らを介して一種の社会教育を受けることもできます。
70年頃の京大熊野寮では社会人を経験してかつ自活しながら生活する学生は珍しくはなかった。また学生運動での経験からすれば、社会人として汗をかいてきた学生は、数は少ないが活動家になれば甘えのない粘り強いタイプになり、大衆組織の運営では一番頼りになった。またたとえ左翼の支持者にならなくてもクラス討論などで、臆することなく自分の意見を表明するので、大変ありがたい存在だった。規約で定められた正規の学生集会には左翼に反対票を投じるために出席してくれた。
私は工学部出身なので、そもそもクラス討論を組織するのにいつも苦労していた。社会人出身の人は自治の大切さは実感していたので、その点では協力的でした。一番困るのは民青でも右翼でもなく、無関心層なのは今も昔も同じでしょう。
ところで学生は近未来の社会を映す鏡です。10年もすれば学園のコアの流れは社会に大きな影響を与えます。 ちょうど安保全学連の頃ですが、東京の下町に住んでいた小学生の私は親に連れられて御茶ノ水の病院によく行きました。御茶ノ水の駅は今とほとんど変わらない大きさでしたが、夕方5時前後は詰襟の学生服の集団で溢れかえり、構内を抜け出すのに苦労しました。 混雑の理由は単純で、付近の私大の一部と二部の学生の入れ替わりが短い時間に起こるからでした。
二部の学生が務めていた中小企業では、残業の軽減などで、学業を奨励する美風がありました。私の父は零細な工場を経営していましたが、工員さんの一部は夜間高校に通っていました。高校の定期試験の際には、午後の仕事を早くあがらせて試験対策を許していました。照れくさそうに早退して慣れないにわか勉強に向かう姿を覚えています。
夜間が高校であれ、大学であれ当たり前の、その点でいえば少なくとも今よりはまともな社会だったのです。
一部二部ともに60年代の学生は数が多く、社会の活気を反映していました。概して勤勉で自分達の力を疑問も持たずに信じていました。教職員の質も熱意の面では高かったのでしょう。 史上初の全国的学生の異議申し立て(全共闘運動)とそれに続く80年代までの日本の活性化は60年代初頭の御茶ノ水駅の混雑で約束されていたといえば大げさだろうか。
まず京大の立て看板騒動までの経緯を簡単に確認しておきましょう。①.この間京大で起こったことの概要 2017年、京大の山極(やまぎわ)総長は川添(かわぞえ)副学長をその先頭に立てて、58年以来の半世紀ぶりの学生運動に関連した事案に対する処分を実行した。
当初は長い間懸案だった中核派に対する抑え込みが目的であったが(現在すべての中核派は実質的に大学構内立ち入り禁止)、今は全学生に対して立て看板やビラ撒きの規制を施行して、学内の自治空間を一掃する方針を出してきた。
直近では自治寮である吉田寮に2018年9月末をもっての退舎命令を出された。それを認めず話し合いを求めている吉田寮自治会と緊張関係に入っているが、京大は一部のライフラインを閉鎖して残留している寮生に不法占拠として恫喝を繰り返している。
京大当局のような現状に対する学内の職員、学生の反撃は限定的で全国の市民、学生からの広範な支援が京大自治を生き延びさせるためには必要不可欠だ。既に事態は深刻で、吉田寮と立て看板騒動はほぼ決着が付きそうな様子です。当局が中核派の残留を理由にして、熊野寮に介入してくるのは目に見えている。
ワセダ学生新聞が早大のみならず全国の学友との懸け橋になられることを期待いたします。②.一連の流れ 2015年10月27日中核派同学会(注7)が朝鮮半島での核戦争に反対する「反戦バリケードストライキ」と称してある建物を封鎖して、一般学生たちにより封鎖が解除された。 2016年初頭までには京大当局は中核派同学会を当該事件で告訴し、関与した中核派が6名逮捕されたが、検察は2016年3月に全員不起訴処分にした。
2016年7月14日京都大学は総長名で2015年に中核派同学会が行った反戦バリストの処分を発表した。 参加した同学会役員4名の無期停学処分(のちに全員放学)とし、学内への立ち入りを禁止する厳しい内容だった。
京大が半世紀ぶりに政治処分をしたのです。
またその際教育的配慮として非公式に運動からの離脱と、処分期間中の学費継続的支払いを条件に、処分の軽減を検討する可能性を示唆した。これに対して中核派同学会は反対声明をだし、反撃を宣言した。 この後何度か職員ともみ合いがあり、最後には全国の中核派は構内立ち入り禁止、学籍者は基本的に放学になった。
この頃から無党派の学生たちの間で対話しない当局の姿勢を批判する動きが出てきて、党派や政治的サークル以外部分から当局批判の立て看板も現れてきた。 無党派の大衆が政治的な発言を始めたことはその後の流れに影響を与えた。
なおこのころ「京大に処分撤回と対話する姿勢を求める会」が立ち上げられて、筆者も賛同した経緯があります。ホームページが残っているので興味のある方は見てください。 政治には力動が大切です。私はこの処分決定の瞬間に学生、職員、OBが一斉に動く事が唯一の機会と思いましたので動こうとしましたが、中核派も含めて各層ともにそれほど危機感はなく、相互の信頼も無かったのでしょうか、連携は必ずしも進みませんでした。
2016年の夏から2017年にかけて京大の中心である時計台周辺での立て看板の運動のピークでしょうか、経費と時間と才能を十分に使った芸術的な立て看板がいくつもつくられました。 2017年ごろから当局の規制も強化されてきて、タテカン運動の中心的な無党派活動家も処分(譴責)を受けました。一般学生もさすがにこの反動には反感を示してきて政治色は薄いが広範な課題で2018年頃から百万遍など京大周辺での攻防戦が始まりましたが、夏ぐらいまでには当局はこれも押しつぶしています。
一部の報道機関が吉田寮問題とタテカン騒動をかなり熱心に報道しています。京大関係者以外でもことの本質を感じている様々な人々が、それなりに各所で奮闘していることは明らかです。この辺に今後の闘い方のヒントがあるかもしれません。③.文教政策の反動化 繰り返しになるが全共闘壊滅後の文部省支配の攻勢はやがて教授会自治そのものにおよび、学園内でのリベラル派は次第に追い詰められて今日に至っている。
2004年には国立大学法が施行され、2014年8月には学校教育法および大学法人法の改定に関する通知が出た。通知によって完全に教授会は無力化され、学長に権限が一極集中し、実質は官僚が全権を掌握している。 予算の配分を掌握した官僚たちがどんな動きをしているのかよく報道されるようになりました。今のいわゆる大学の先生はほぼ隷属させられている状況のようです。学生と教職員が連帯する基盤は潜在的ではあるがあると思います。
何よりも憂慮されるべきは、今若者が政治や社会思想に触れる機会がほとんどなくなってきていることです。 若者は、特に高等教育を受けたものは、一定程度は真理と正義を愛するものです。それはいつの時代でもそうでしょう。
最近医学部の入試での、女性や多浪生へのあからさまな差別がマスコミから報道されてきていますが、かつてインターン制を廃止させた医学生運動は絶滅しているようです。まあ学生自治自体がないのだから仕方がありませんが。
やはり今の学生は以前とは比較にならないレベルで当局から管理されている。全体主義国家が国民を管理するように細かく支配している。ささやかな声を挙げることも厳しい状況であるのでしょう。
京大でも単位の修得が複雑で面倒になり、出席も厳しく管理されています。授業以外の語学の宿題のようなことまで指導されている。昔は簡単に取れる単位が多く、登録と習得も単なる事務手続でいつでも取れました。そのため意味もなく授業に出る学生が「勉強もしないで授業にでてどうする」と叱られた大学とは思えない惨状です。 早大をはじめとした私立の状況も同じようなものでしょう。
やれる範囲でしぶとくいきましょう。リベラルでも民族派でもどんどん行きましょう。 先日全国の大学で細々とはあれ、タテカン運動を頑張っている学生さんたち会う機会がありました。大学によりその内容は大きく異なりますが、いまの理事会独裁、官僚主導の管理強化に対する批判はかなり普遍的に存在しているように思われます。
一部の大学ではぼこぼこにされている教職員との連帯の可能性が出てきているところあるようです。また各大学ともに異口同音に言うのは、京大の多種多様な抵抗の在り方に励まされていることです。京大粘ってね。
SNSの時代ですので連絡の取り方は我々の時代とは比較にならないくらいに便利です。連帯も大事ですが、いまはまさに現場の活性化が何より求められているのでしょう。 京大も年明けから自治寮への攻撃が激化することは間違いありません。看板の即撤去も継続してくるでしょう。入試、新歓まで耐えきれば展開も変わる可能性があると思います。
蛇足:幅広い反撃という観点からすると、今はいわゆるセクトなどの政治集団とは距離を置いたほうが良いのではありませんか? 特定の集団を支持しているひとはそのことは出さないほうが良いと思います。
言いにくいですが経費と弾圧対策は自前が原則で、基本的に便宜供与を受けるのもやめるべきです。本当に頑張っていればきれいな金がそれなりには集まります。
思いもしないところでの動きを楽しみにしています。
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注1:60年安保闘争の直前に日本共産党から離れた学生を中心とする人々は共産主義者同盟(俗にブント)を結成して安保反対闘争を牽引した。その後多くの分裂再生があり、1966年には三派全学連(安保ブンドの流れを直接継承する第二次ブント、ブントから独立した部分が作った中核派、社会党の下部組織から独立した社青同解放派の三組織の連合)が結成されて、その後71年までの学生運動を中心的に担った。
注2:(注1)の中核派には双子のような組織が常に存在して革マル派とよばれている。この組織は労働者本体を組織化することを目標にしていて、政府と直接対峙を繰り返す三派などの組織を小ブルジョワとして解体対象としてきている。このため各派との殺人事件を起こして、内ゲバとして国民全体から忌み嫌われた。また革マル以外でも新左翼は70年代初頭の混迷期に入ると次々と暴力を内部に向かわせて収拾がつかなくなり、国民的支持は一挙に消滅した。早稲田大学での文学部自治会(革マル)による文学部生川口大三郎さんへのテロ殺人があったことは記憶されなければならない。京大関連でも京大出身のブントの人たちが、赤軍派を結成して多くのテロ事件を国内外で起こした。連合赤軍の内部のテロ殺人はその残酷さで永く歴史に残るだろう。一緒に戦ったこともあった京大C戦線という組織もマル青同を作り殺人事件などを起こしたりした。革マル、中核派、社青同解放派の三つ巴の殺し合いで200名を超える死者、千人にも及ぶ障害者がでた。いずれの組織も大勝利として何の反省もしていないように見える。反省しているとすれば相手を絶滅しなかったことだけだろうか。
注3:マルクスは政治、経済、哲学に不滅の業績を残したが、革命運動の具体的な展開に多くかかわったとは言えないだろう。一方、レーニンはマルクス主義を奉じてロシアで権力を掌握して20世紀に衝撃を与えた。かれは現実に対処するためマルクスが夢想すらしなかった職業革命家による中央集権の序列組織を確立させた。この組織思想がレーニン主義である。その組織思想を述べた「何をなすべき」にはイデオロギーや宗教集団の要諦がうんざりするほど詳述されている。彼の後継者を任じるスターリン、毛沢東その他もろもろは「レーニン主義」の名前で、少なくも何千万人から億単位の人々を虐殺、虐待した。
注4:1969年9月5日第一回全国全共闘結成集会が日比谷で行われたが、実質は既に失われていた。その後は反代々木(革マルを除く)の共闘機関として形式的に存続したが71年6月中核派と解放派が内ゲバを開始したため消滅した。
注5:赤軍派は69年にブントから関西系の活動家が分派して結成した組織で、直ちに権力との武装闘争を主張した。当初は京大、同志社、早大の学生部隊が中心だった。のちに毛沢東派と突然「連合赤軍」を結成して、内部のリンチ殺人で自壊した。
注6:教育基本法第3条(教育の機会均等)「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない」 なんて立派な法なのだろう。今の入試制度はほとんどすべて違反ですね。法を作る意味はあるが、書いただけではただの能書き。
注7:中核派同学会とは2012年に中核派とノンセクトが休眠状態だった京大の全学自治会=同学会を正規の手続を経て再建したもの。すぐにノンセクトは抜けて中核派単独の組織になった。当局は当時既に実態が消滅した以前の同学会が存在すると強弁して中核派同学会を学生の団体と認めず話し合いを一切拒否している。
(かきぬま しんいち)
現在、『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』(KADOKAWA)が3万3千部の大ヒット中の著者である借金玉さんは本学の卒業生。Twitter上でさまざまな著名人と白熱した議論を繰り広げる独自の”炎上”ファイトスタイルも好評だ。多方面で大活躍中の本学OBに就活や学生時代についてお話をうかがった。(記事末尾にプロフィール)
学生時代は居場所がなく、当時はまだ多く残されていた大学の喫煙所で過ごすだけの日も多かったという。4年生の5月から始めた就職活動では「早稲田の学生は企業の説明会で手を上げたら内定がもらえる」という〈神話〉に裏切られた。
その後、マインドセットを改め、大手金融機関の内定を獲得。周囲と比べて遅めのスタートにも関わらず、就活では勝者となった。「企業から見られるのは会社という〈部族の風習〉に順応できる人間かどうかという点。エントリーシートと面接で業務遂行なんて測れないのは明らか」と借金玉さんは断言する。
「一見してくだらないと感じるような〈茶番〉で上手く演じられる能力を高めればかなり有利になる。人間はパチンコやマルチにハマることができる。就活にもハマるくらい全力でやっていきましょう」。
卒業後、事務職に配属されたものの、2年足らずで退職。26歳で起業した事業の失敗という経歴から現在の「借金玉」を名乗り始めた。「人間には適正というものがあって、多くの学生が希望するいわゆるホワイト企業で働くことは私には耐えられないものでした」と回顧する。
「一人一人の裁量が小さく、チームで仕事ができることを良しとするのがホワイト企業。自分にとって本当にホワイト企業が向いているか自己分析することも必要です」。
本学の喫煙所でのエピソードには事欠かない。頭から眉毛まで毛がなく、ハンチング帽子を被っている男子学生とはよく出くわした。4年間で会話したのは「ライター貸して」と「いいよ」程度でだった。また、80人規模を束ねる暴走族の元トップで、ビジネスの世界でもトップを取るために入学してきた学生など、当時は刺激的な出会いの場であったという。
「早稲田では、個性的で面白い人たちと出会いましたね。意外なことにちゃらんぽらんだと思ってた人たちの方が成功しているんですよ」。
現在の本学に対して少し寂しさを感じるという。
「構内の喫煙所も減っているみたいで、僕のような友達が一人もいなくてサークルなどにも馴染めなかった人間はかなり助けられただけに、変わっちゃったなと感じます。講義を受けるよりも喫煙所で会った方が長く議論できる教授もいた」と嫌煙ブームによる本学の喫煙環境の変化(早稲田キャンパスに9箇所、戸山キャンパスに1箇所)について嘆く。
また、最近はライバル慶應義塾大学に水をあけられていると感じるという。「近頃はどうして早稲田じゃなくて慶應なんだというニュースが多い。変な学生は早稲田の方が多かったのに。慶應に勢いで負けてる」。
確かに本学の変化は最近著しいが、それが果たして学生全体で起こり、学生の利益に資するものであるかどうかは議論すべきだろう。
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【プロフィール】借金玉氏:1985年生まれの発達障害サラリーマン。
ADHD(注意欠如・多動症)の発達障害者。
幼少期から社会適応ができず、登校拒否や落第寸前を繰り返しながらギリギリで高校を卒業。現役で大学の教育系学部に入学するも「学校」が大好きな人たちの集まりであることに愕然として2ヶ月ほどで退学。2浪して本学の文学部に入学した。
早稲田大学を卒業後、大手金融機関に就職。まったく仕事ができず逃走した後、一発逆転を狙って起業。一時は調子に乗るも大失敗し、それから1年かけて「うつの底」を脱出。現在は営業マンとして働く。
著書に『発達障害の僕が「食える人」に変わったすごい仕事術』。
ブログ:「発達障害就労日誌」、ツイッター:@syakkin_dama
早稲田大学における学生新聞の歴史は古く、初めて学生新聞が創刊されたのは1922年のことであった。創刊号には芥川龍之介が寄稿するなど、当初は意気軒昂と発刊されたが、現在その流れを汲む「早稲田大学新聞会」が学生の身近なメディアとして機能しているとは言い難い。そのような状況の中で今年、「ワセダ学生新聞(仮)」と「早稲田大学学生新聞部」という2つの学生新聞が創刊されることは大学史に残る出来事だといえよう。
盛んな学内スポーツを背景に多くの読者を持つ早稲田スポーツ新聞会、またWEBメディアやフリーペーパーなど多くの学内メディアが存在する早稲田大学で2紙がどのようなメディアを目指すのか、学内学外を問わず注目する人は少なくないだろう。しかし、学生新聞を創刊し継続的に運営するにあたっては、様々な課題が想定しうる。
一つの大きな課題となるのが、財政的な問題だ。かつて、学生新聞といえば広告収入や新聞自体の売上を頼りに活動するところが多かったが、現在学生新聞が広告収入や売上のみで活動を続けるのは難しい状況だ。学内WEBメディアやフリーペーパーの増加により、大学内メディアは多様化し、相対的に学生新聞の存在感は下がっていった。そのため、昔に比べ広告は取りにくくなっており、売上も容易にはあげられなくなっている。さらに、2008年のリーマンショック以降は大企業の広告掲載がかなり減少したともいわれる。
そんな中で、他の主要大学ではどのように学生新聞を発行しているのだろうか。これは大学によって様々な特色がみられる。例えば、青山学院大学新聞や筑波大学新聞は大学と提携し、大学側からの援助を受けて活動している。東京大学新聞社は「その活動の成果は、広く社会全体に還元されている」として、学生新聞としては唯一、公益財団法人として登録されており、大学を含めた各方面から利益供与を受けている。慶應塾生新聞会は、OB会から多額の援助を受けることにより、学外のマンションを借りて編集局として使用し、月9000部を発行するという、資金力を活かした活動をしている。上智新聞は、1965年の創刊の際の資本金を現在でも一部使用して新聞を発行している。
学生新聞全盛期と同じように活動することが厳しくなっている中で、各大学の学生新聞は自らのWEBメディアを設置するなど、新たな試みも行われていることが多い。学生新聞という媒体で発信していく意義について多くの学生新聞が揺れている中で、この度創刊に至ったワセダ学生新聞(仮称)がどう活動していくのか、期待が持たれる。
大学生における性暴力事件が注目され始めるきっかけともいうべき「スーパーフリー事件」が発覚してから、15年が経つ。この15年の間にどれだけ学生が関わる性暴力事件が減ったのだろうか。残念ながら、今年も東大生や慶応生による性暴力事件が社会問題となった。学生による性暴力事件の全体像について実態調査が進んでいないために確定的なことは言えないが、少なくとも今でも被害者が生まれてしまっているということは確かである。 また、性暴力は学生間のみで生じるわけではない、主にセクシャル・ハラスメントという形で、学生と教員間でも起きる。文学学術院の渡部直己氏が教え子に対するセクハラによって処分を受けたことは記憶に新しい。
性暴力は個人の身体・精神・人格を傷つける暴力であり、断じて許せないものであることは、良識ある学生諸君にとって共通理解だと思う。しかし、こうした共通理解があるにもかかわらず、性暴力事件が立て続けに起こってしまう背景には、性に関する同意への無理解があるからではないか。多くの性暴力の加害者は自身の加害性を否定する。その否定の基本的論理は相手(=被害者)も望んでいたというものだ。ここにまさに性的同意(セクシュアル・コンセント)に関する無理解が潜んでいる。
性的同意は望まないセックス等を防ぐために相手の意思を尊重し、行為を起こす側が積極的に同意をとることで成立する。何ら特殊な概念ではない。重要なのは相手の意思を尊重するということだ。たとえば、力関係に基づいて同意をとったとしてもそれは十全な同意ではない。また、相手が泥酔しているなどの冷静な判断ができない状態での同意でも十分だといえない。加えて、同意は非継続的なものであることにも注意するべきだ。つまり、セックス等をする際にはその都度同意をとるということである。これらは相手の意思を尊重する観点から満たされるべき条件である。
性暴力の関係者になることを望むものはいないであろう。それならば、誰もが相手の意思を尊重する性的同意を意識するべきである。学生諸君には、こうした性的同意の重要性を知り、大学内から性暴力を取り除いていただきたい。
京都大学をはじめとする日本各地の大学で立て看板が話題になっている。早稲田大学も例外ではない。大学側が諏訪通り沿いのフェンスを撤去してしまい、今まで立て看板が立てられた場所に立てられなくなってしまった。それに対して、半年ほど前から早大生が批判の声をあげはじめたのである。
大学側は新宿区の条例「みどりの条例」に基づいて、早稲田アリーナ建設にあたり、接道部を緑地化しなければならないという論理でフェンスを撤去した。大学側は工事終了後に立て看板が設置できるかどうかに関しては11月末に回答すると述べていたものの、未だ(12月8日時点)に回答はない。しかし、接道部の工事はすでに済んでおり、その状態からすると、立て看板が設置できないつくりではない。大学側は学生たちの要望に応え、早急に妥当な結論を出すべきであろう。
学生側の要望はフェンスを撤去するかしないかという問題や、工事後に立て看板が設置できるかどうかという個別の問題に限定されたものではない。そもそもの問題として、大学側が学生生活・学生文化に関わる案件について決定する際に学生側の意見が反映されるべきだと学生側は訴えている。大学側が学生側を意思決定に参加させない問題は根深く、立て看板交渉の場面でも、大学側は個別の学生とは対応しないというスタンスをとり始めた。しかし、現在、学生側には学生の代表として振る舞える機関は存在しない。つまり、実質的に大学側は学生とは交渉しないということだ。こうした対応は真摯な対応といえないだろう。この問題は学生が大学と意見交換できる場がないことに起因しており、大学側にはこの件に関しても学生側の主張に耳を傾けるべきだろう。
立て看板問題に戻る。多くの学生にとって立て看板の有無は問題でないかもしれない。しかし、立て看板はサークルにとって重要な広報媒体であり、キャンパスにとってはそこを彩るアートであろう。最近では、立て看板の形をとった掲示板を設置する面白い試みもなされている。今のところ関心がない学生も少し足をとめて立て看板を眺めてみたらどうだろう。
あなたは浮気をされたことがあるだろうか?私の周りには結構そういう話がゴロゴロしている。彼女をサークルの同期に寝取られたとか、寝取りの場面に出くわしただとか、高田馬場のラブホテルでW不倫していた男女同士が出くわしてしまうだとか。
大学生は痴話話が好きだからそういう話はよく耳に入る。かくいう私も浮気をされたことがある。彼女が私のサークルの先輩とキスをしていた。前の醜聞に比べれば大したことのない体験ではあるが、実際やられてみると本人には笑えない出来事だ。
第一にショックだ。今まで付き合っていたのはなんだったのか、意味のないことだったのか、あんなに優しくしたのに。などなど、衝撃を受けて答えのない袋小路に迷い込むことは必至だ。おおよそロータリーでネズミが吐瀉物を食っているのを初めてみたときの衝撃と、カップ焼きそばのお湯ではなくて麺を捨ててしまったときの悲しみに匹敵するくらいのパワーが浮気にはある。そのダメージに耐えることは非常に難しい。耐えられなくても時間が解決してくれるかもしれないが、時間がかかる。何が悪かったのか考えて見ても自分の中には原因は見つからない(浮気したのは相手なのだから当然だ)。せいぜい、相手のせいにするくらいしかないのかもしれないが、相手は殴っても反応がないサンドバックなので、余計喪失感が助長される。私もこのショックを解消する完璧な解決方法を知ってはいない。この問題の解決方法をニーチェやサルトルは考え出せるだろうか。一度息子がユーチューバーデビューした大川某氏に降霊させて聞いてみたいものである。売れること間違いなしだ。
第二に浮気がサークル内での出来事だと浮気された側の居場所がなくなる可能性がある。浮気されると勢力図は浮気された側vs浮気した側二人になる。人数的に劣勢だ。後輩が先輩の彼氏彼女を寝取った場合ではサークル内の影響力が浮気された側の方が大きいため人数的不利を跳ね返すことはできるかもしれない。倫理的不備はあちらにあるのだから、影響力があれば相手の非を訴えることが効果的だろう。しかし、先輩の方が後輩の彼氏彼女を寝取った場合はどうか。人数的不利に影響力のなさというデバフが加わる。その場合後輩はサークル内にいられなくなる可能性が高い。また、浮気した側にサークルに居座られては、浮気する側も顔を合わせたくないためにサークルに自分から行くことができないということもあるだろう(私の場合はこれだ)。彼氏彼女を失い、しかもサークルという居場所まで失う。大学生活で今まで築いてきた生活基盤を奪われるわけだ。浮気というのは攻撃力が高いのだ(浮気する側も信頼を失う可能性があるためもろ刃の剣ではあるのだが)。
第三に浮気された時になって初めて相手の醜聞が明らかになり、それに気づかなかった自分を責めるというダブルパンチを食らうことがある。私の場合、別れた後に彼女にさまざまな「前科」があることが明らかになった。そうなって初めて自分の盲目さが明らかになる。付き合っている時は相手のいい場所しか見えないものだ。別れてみると自分がなんであんなにパートナーに熱をあげていたことが嘘のようだ。いろんなところに遊びに行ったのも嘘のようだ。私の彼女が橋本環奈だということは嘘のようだを通り越して嘘だ。別れた後、目隠しが取れて後になって周りの人の話を聞いてみると浮気の事実にみんな薄々気づいていて、知らなかったのはパートナーたる自分だけだった……という燦々たる状況に置かれることになる。こうなると自分にも落ち度があるのではないかと自分を責めることになる。しかし後悔は無駄な所作である。もう事は終わった事なのだ。自分をサンドバックにして殴るしかない。殴っても何も出てこない。出てくるのはロータリーで吐くゲロだけだ。
これまで浮気のもたらす悪影響を語ってきたが、いい点もある事はここで強調しておきたい。
まず、パートナーにかける時間がなくなり家で過ごす時間が増える。浮気を良い機会として勉強や読書の時間を増やしてみてもいいかもしれない。浮気されれば勉強ができるようになる。勉強するから単位も取れる。故に浮気される事は単位取得に役立つ。当局は新入生に「浮気される体験」を施すべきである。入学式での学部長挨拶よりも効果的だ。
次に、結婚が不必要になった現代において恋愛をする必要性のなさがわかるかもしれない。結婚は20世紀においては夫や妻がいない人は人とみなされなかった。しかし二十一世紀に入って結婚せずともそんな偏見にさらされる事は少なくなった。結婚はもはや金のかかる買い物である。しかも西野カナの歌と違ってどの恋愛結婚にも説明書は付いてない。「私は浮気をします」などとどこに書いてあるというのだろうか!浮気を契機にそんな不条理から離れて大学生の今から独身貴族の生活に慣れておくのだ。今のうちから自炊に慣れや老後の生活の計画を立てておけば、恋愛も結婚もせずとも暮らしていけるパーフェクトな人間になれるのだ。浮気される事は完全な人間になる必要条件だ。浮気される事は個人の自立を助ける。
このように考えてみると浮気というのは自分を覚醒させるマイルストーンだったのだ。ありがとう浮気、ありがとう彼女……
このように浮気に接してみて感じた事をつらつらと書いている時、例の浮気をした彼女からラインが来た。「復縁のお願いなら断ってやろう。それが男だ」。などと「教室に暴漢が入ってきたら俺が倒してやる。そしたらおれはヒーローだ」。みたいな男子中学生みたいなことを考えながらその連絡を確認してみた。曰く、「私は浮気などしていない」「あなたが悪い」「友達に戻りましょう」…… 我曰く、「ふざけんな。おとといきやがれこのやろう。なんで私がこんな思いをせねばならないのだ。浮気なんて糞食らえだ」。私は彼女のラインをブロックした。さよなら彼女。さよなら恋愛。
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【フッた彼女は…?】
彼にとりあえず言いたいのはごめんなさいってことですね。
ただ浮気はしてないです。
どこから説明したらいいのかっていうかどんなに説明してもわかってもらえないと思うんですが結婚してない以上浮気の定義も無いわけだし、好きじゃなかったらもう好きじゃないっていうだけの話。 あと某ホスト先輩の時、私は彼氏を傷つけたくないからってちゃんと断ったしまあ一個一個エビデンスを出してくのはめんどくさいのでしませんがあまり私の中で間違ったことをしたとか後悔の感覚はないです。
むしろ好きじゃないのに付き合い続ける方が後で二人とも苦しむことになると思うし、というかサインはずっと出し続けてたつもりです。
でも別れた元恋人のこととか二人の話をグチグチ外部の人に漏らす(特にこういう場で)のも違うと思うのであんま言いたくないです。
だからあなたも早く被害者ヅラやめてくださいw
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